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歴史哲学フラグメント

歴史哲学フラグメント

靖国違憲判決と戦争の記憶

小泉首相の靖国参拝をめぐる違憲判決について

──祖父への追憶とカール・レーヴィットのエピソードを添えて



最初に報道についてのまとめをし(1)、つぎにこの判決についての毎日新聞の記事を批判的に検討し(2)、さらにこの問題についての自分の意見を書きたいと思います(3)。

1,報道のまとめ


2004年4月7日、小泉首相の靖国神社参拝は「違憲」とする判決が出ました。福岡地裁によるこの判断は、九州・山口県などに住む211人が小泉首相と国を相手に精神的苦痛を受けた慰謝料を求めたものです。亀川清長裁判長は、「社会通念に従って客観的に判断すると、憲法で禁止されている宗教的活動に当たる」と述べ、違憲判断を示しました。

他にも同様の訴訟が四国や大阪でも起こされていましたが、それらの判決が憲法判断まで踏み込まなかったのに対して、福岡地裁は小泉首相の靖国神社参拝についての違憲判断を下しました。慰謝料の支払いは認められなかったものの、原告側はこれを実質的な勝訴と考え、控訴しない方針です。また国側には控訴する利益が認められないので、この判決は初めての靖国参拝違憲の判例として確定する見通しです。この判決の意義について、同記事の横田耕一・流通経済大教授(憲法学、九州大名誉教授)は話のように話しています。

> 画期的判決だ。これまでの靖国参拝訴訟には二つの関門があった。一つは、原
> 告適格の有無にかかわる「訴えの利益」を認めるかどうか、もう一つは、首相
> の参拝を私人としてではない「公的参拝」であることを認めるかどうかだった。
> 今回はどちらの関門もクリアした初めての判断といえる。

つぎに判決の内容をみると、次のような根拠が挙げられています。

> 公用車を使用し、「内閣総理大臣小泉純一郎」と記帳するなどしており、国
> 家賠償法1条1項の「職務を行うについて」に当たる。
> 一般人の宗教的評価、目的、行為の一般人に与える効果を考慮すると、憲法
> 20条3項目によって禁止されている宗教的活動に当たり、同条項に反する。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040407-00001026-mai-soci

これに対し小泉首相は、「なぜ憲法違反かわからぬ」とコメントしています。

> 首相は今後も靖国参拝を継続する意向だが、政府がこれまで主張してきた「私
> 人としての参拝」が改めて否定されただけでなく、明確に「違憲」と認定され
> たことで、参拝をめぐって一層苦しい説明を迫られるのは必至だ。 首相は同
> 日昼、判決について「(請求棄却で)勝訴でしょ。伊勢神宮(参拝)も違憲な
> の。なぜ憲法違反なのか分からない。個人的信条で参拝している。(今後も参
> 拝は)します」と記者団に述べた。 (時事通信)
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/yasukuni/

これを説明するものとしては、去年8月13日の参拝について、すでに首相官邸のページで小泉首相は次のように語っています。

> 私は、二度とわが国が戦争への道を歩むことがあってはならないと考えていま
> す。私は、あの困難な時代に祖国の未来を信じて戦陣に散っていった方々の御
> 霊の前で、今日の日本の平和と繁栄が、その尊い犠牲の上に築かれていること
> に改めて思いをいたし、年ごとに平和への誓いを新たにしてまいりました。私
> は、このような私の信念を十分説明すれば、わが国民や近隣諸国の方々にも必
> ず理解を得られるものと考え、総理就任後も、八月十五日に靖国参拝を行いた
> い旨を表明してきました。
>
> しかし、終戦記念日が近づくにつれて、内外で私の靖国参拝是非論が声高に交
> わされるようになりました。その中で、国内からのみならず、国外からも、参
> 拝自体の中止を求める声がありました。このような状況の下、終戦記念日にお
> ける私の靖国参拝が、私の意図とは異なり、国内外の人々に対し、戦争を排し
> 平和を重んずるというわが国の基本的考え方に疑念を抱かせかねないというこ
> とであるならば、それは決して私の望むところではありません。私はこのよう
> な国内外の状況を真摯に受け止め、この際、私自らの決断として、同日の参拝
> は差し控え、日を選んで参拝を果たしたいと思っています。
http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2001/0813danwa.html

福岡地裁判決は、ここで小泉氏が「わたしの信念」を「私自らの決断として」つらぬくと言う点について、「公用車を使用し、『内閣総理大臣小泉純一郎』と記帳するなど」を考慮すれば、首相の公的職務として参拝を行ったことは明らかだと言っているわけです。

また判決によれば、「社会通念に従って客観的に判断すると」、神社に参拝するという行為は宗教的活動に当たるとされます。小泉氏は「御霊の前で」思いをいたすと言っていますから、「霊」が宗教的なものだとすれば、この判決を裏付けることになります。


2.毎日新聞の論説「近聞遠見:粗雑すぎる靖国違憲判決」

つぎに、この判決を激しく批判する2004年4月10日の毎日新聞社説を取り上げてみたいと思います。この記事の支離滅裂さは、日本の議論状況の貧困さを映しているように思われるからです。まず、次のような暗示的な言い方から始まります。

> 驚くことが続く。だが、必ずしも意外ではない。ああ、やっぱり、とどこかで
> 予感している。

「驚く」が「意外ではない」(?)と言う。なぜなら、

> 靖国神社参拝違憲判決にも驚かされた。最近の司法は法の番人らしくない、と
> いう予感が当たった、とも言える

からとされます。「らしくない」と言うからには、筆者はその本来の姿を思い描いているはずですが、それはどこにも見当たりません。「法の番人らしい」のは、けして憲法に基づく判断をしない裁判所のことであるかのようです。

> 第1の争点は、首相参拝の目的が宗教的意義を持っていたか。判決は、「憲法
> 上の問題、国民や諸外国からの批判があり得ることを十分に承知しつつ、あえ
> て自己の信念、政治的意図に基づいて参拝したというべきだ」とした。何をも
> って信念、意図とみているのかまったく不明で、それがなぜ宗教的意義を持つ
> かはもっとわからない。

「何をもって信念、意図とみているのか全く不明」とされていますが、そんなことはありません。上記のように、じっさい首相自身が去年の参拝に際して「この際、私自らの決断として」参拝すると語り、最近でも「個人的信条で参拝している」と答えていました。判決ではさらに丁寧に首相発言を取り上げています。毎日新聞がなぜ「わからない」と言うのかが謎です。

> 第2の争点、参拝の効果が、宗教への援助、助長、促進、または圧迫、干渉に
> なるか。判決は、「参拝直後の終戦記念日(01・8・15)には前年の2倍
> 以上の参拝があるなど、靖国神社を援助、助長、促進するような効果をもたら
> した」とし、従って、憲法が禁ずる宗教的活動と認定した。これは恐るべき飛
> 躍である。参拝客の倍増は直前の小泉参拝(8・13)と無縁ではないだろう。
> だが、参拝をめぐる騒動の主たる原因は、中国の執ような反対圧力によるもの
> で、いわば騒動の震源地に一般の興味が集中した結果とみるのが常識的だ。神
> 道への信仰心が高まったわけではない。それがなぜ、援助、助長なのか。

すなわち毎日新聞は、靖国参拝者が倍増したのは、中国の圧力が原因だと言っています。そうだとすれば、首相らの靖国参拝は中国などの圧力に対抗してのアピールという政治的効果をもったことになります。宗教的ないし個人的信条の問題としてあつかうべきと考えるのであれば、こうした政治的効果をもつことを避けるべきなのではないでしょうか。

> 8日の衆院憲法調査会の討議で、自民党の森岡正宏(衆院・近畿比例)が、
> 「なぜ首相が、国家のために命を落とした人をまつる神社に参ってはいけない
> のか。・・・」と異議を唱えたが、そのとおりだ。

「そのとおり」とは、またしても筆者の主観的断定です。しかも、靖国神社にまつられるのは「国家のために命を落とした」人に限らず、戦争の後に犯罪者として処刑された者も含まれます。東京裁判にはさまざまな問題があるとしても、彼らは刑の執行によって命を落としたのであって、戦場で死んだのではありません。毎日新聞はこの判決を「粗雑」だとしていますが、論理的に粗雑なのは判決よりこの記事のほうだと言わざるを得ません。

> こうした判決文の粗雑さの原因は、末尾の、「憲性の判断を回避すれば、今
> 後も同様の行為(首相参拝)が繰り返される可能性が高いと言うべきで、参拝
> の違憲性を判断することを自らの責務と考えた」の記述ではっきりする。首相
> 参拝を止めるべきだという、森岡指摘の<私的な気持ち>が先に立っていた。
> <責務>などという上等な言葉にうっかり惑わされる。

裁判所があえて憲法判断をしたのが「私的な気持ち」からだったと決め付けていますが、同じ毎日新聞の別の記事には、これが次のように解説されています。

> ◆司法「なし崩し」に警鐘
>
> 「過去を振り返れば、首相の靖国神社への参拝に関しては、数十年前から取り
> ざたされながら、合憲性について十分な議論も経ないまま参拝が繰り返されて
> きた」。判決の中で、亀川清長裁判長は、政教分離があいまいな日本の現状に
> 強い懸念を表明。「違憲性を判断することを自らの責務と考えた」と踏み込ん
> で違憲判断を出すことで、首相や閣僚の靖国神社参拝が既成事実として定着し
> ていくことに対し、司法の立場から強く警鐘を鳴らした。

この判決は、いままでのらくらと判断を避けてきた司法の自己批判であり、裁判長の「私的な気持ち」からではないのは明らかです。「首相である小泉」が参拝するのが私的なのか公的なのか、またそれが合憲か違憲かについて、政府だけでなく司法までも、これ以上、のらくらと問いをはぐらかしてはいけない。これを理解せずに判決を「粗雑だ」と批判する論説記事の筆者は、筋道の通った報道をするという責務を放擲していると思います。記事の末尾で「司法の本領は冷静さではなかったか」と言う前に、社説の筆者自身がもっと冷静に、よく考えて記事を書いて欲しいものです。

それにしても、同じ新聞社内でこのように全く違った見方があり、それが読者の目にさらされているというのには、まったく奇異な感じがします。自社の新聞も読まないのか、社内で対話することもできないのか。いや、両方なのでしょう。これが日本全体の縮図と思えてならないのが、きわめて残念です。

3.戦死者への畏敬について


以上では報道をとりあつかってきましたが、つぎにはこの問題について僕がどう考えるかを書いてみたいと思います。述べてきたように、法的観点のうえで政教分離を遵守すべきと述べた判決はまったく正当なものだと考えます。しかし、倫理的観点からみると、それだけで問題を汲み尽くせないとも思います。小泉首相の発言が一定の支持を集める理由はなぜなのか、考えてみることにします。

そのためには、僕自身が一人の日本人として、どう歴史と向き合うかを反省してみるべきだと思います。そのとき真っ先に思い浮かぶのは、僕のおじいさんです。戦艦とともに太平洋に沈んだ祖父を、僕は写真でしか姿を見たことはありませんが、父や祖母を通じていくらかの話は聞いています。子どものころは、毎年お盆になると岡山の山奥にある父の実家を訪れて、墓参りをしました。いまおじいさんの声に耳を傾けるとすれば、どう言うでしょうか。

徴用されて戦地に赴くとき、祖父は国のため家族のためを想って出かけていったことでしょう。しかし結果としては、それは家族のためにはなりませんでした。彼は戦死し、戦争にも負けました。女手ひとつのこされた祖母が負った苦労を、父からよく聞かされました。祖父が、自分の生きた20世紀前半の歴史について追想したとしたら、その破滅をひきおこした責任を、いさぎよく引き受けるのではないかと想像します。

日本がふたたび軍事独裁に陥らないようにあらゆる手段を尽くし、信頼関係によってアジアの共栄に力を尽くして欲しい。自分が銃口を向けてしまったアジアの人々の声を聞いて、和解して欲しいと言うのではないでしょうか。そうでなければ、いまもまた同じように戦争をし、僕自身が同じように戦死する運命も待ちかまえているでしょう。それでは祖父の死も無駄になってしまいます。

天皇や神社については、やはり敬ってほしいと祖父は言うかもしれません。しかし天皇と神社が戦争のために利用されてしまったということを考えれば、おそらく祖父は、政教分離原則を遵守するようにと言うだろうと思います。政治の権威を身にまとった「内閣総理大臣」が神社に参拝する。そのパフォーマンスを通じて、宗教は政治の道具にされてしまっているからです。

小泉氏は、「今日の日本の平和と繁栄は、その尊い犠牲の上に築かれている」と語っていました。そのとおりだろうと思います。しかし小泉氏は、ほんとうにその犠牲者たちの身になって考えているのでしょうか。戦死者の方々が、戦争をひきおこした責任を動機の純粋さでごまかすような、そんな卑怯なまねをすると思っているのでしょうか。

この談話が何らかの説得力をもつとすれば、それは死者への畏敬によるのだろうと思います。その声を聞き思いをいたすこと自体は、とても大切なことだと思います。しかし、過去の兵士が戦争に出かけていくときの「決意」だけを追えばよいというものではありません。じっさいに戦争を経験した人々が、その歴史をふりかえって、どのように書き残しているかを読むべきだと思います。

ところで僕はドイツ思想史を勉強しているので、二つの大戦を体験した人としてはカール・レーヴィットという人が思い当たります。彼はかつて、第一次世界大戦の「危険」に命を賭けた若者でした。戦闘で胸を打ち抜かれ生死をさまよったあげく、イタリアの捕虜収容所で長く寝たままの生活をすごします。しかし帰国後には大学でM.ウェーバー、A.シュヴァイツァーらにふれ、ハイデガーに哲学を学んで、やがて大学の教職を得ます。

しかしナチスが政権をとると、ユダヤ人として迫害されます。最初のうちは前線で戦った兵士だということでなんとか大学からの追放を免れていましたが、レーヴィット自身、「これを名誉と感じたためしはなくて恥辱と感じており、また、自分の大学教員としての資格は、自分自身にとっては、軍服を着ていたこととは全く関係がない」と主張していました。ナチスのイデオロギーの一翼を担ったカール・シュミットへの批判論文を書いたこともよく知られています。
『ナチズムと私の生活──仙台からの告発』、秋間訳、法政大学出版局、1990(Mein Leben in Deutschland vor und nach 1933)

次第にユダヤ人迫害が命を脅かすようになり、やむなくイタリアへ亡命します。方々の大学で職を探しますが、やがて日本から招聘があり、1936年から41年まで東北大学の教授をつとめます。そのとき、ある公募に応じて自伝的報告を書き残しています。先ほど挙げた『ナチズムと私の生活』という本です。これは彼の生前に発表されることはありませんでしたが、死後1986年になって婦人によって公刊され、日本語にも翻訳されました。戦争で死んでいった兵士たちの声は、戦争をかろうじて生き延び、それについて考えた彼のような人の声を通して聞こえてきます。

レーヴィットはこの報告の中で、1913年に友人が描いた自画像の写真によせて、ドイツが戦争へと突き進んでいった時代について回顧しています。

> 「こんにち再びこの自画像をじっと見てみると、ドイツの現在との歴史的連関
> が明白にわかる。すなわち、どのグラフ新聞も今では大量にこのようなドイツ
> 人の顔を載せているのである。つまり、鍛えられて硬直した状態にされ、口を
> ぎゅっと真一文字に結び、人間らしさをもう少しで失ってしまう限界までぴん
> と張られて仮面のようになっている、そういう顔を」。(同書の図録4ページ
> 目の写真「L.ルドヴィッチ自画像『愛と意志』(1913年)」および本文10頁
> 以下を参照)

これが戦争に出かけてゆく兵士の姿です。小泉氏自身が自らの「意志」と「決断」を強調し、顔をこわばらせて語る姿にも通じていると思います。小泉氏はよく戦争に出かけていった人々のことに触れますが、20世紀前半のドイツは、この「意志」と「決断」という言葉とともに、第二次の世界大戦へと突入してゆきました。

小泉氏が「今日の日本の平和と繁栄が、〔兵士たちの〕その尊い犠牲の上に築かれている」ことに思いをいたすのならば、戦後帰還し平和と繁栄に身を尽くした人々が、自らが出征していったときの写真をどのような想いで眺めたかを考えるべきではないでしょうか。その想いの中には、戦争によって死んだ愛する人々、そして自らが手にかけたアジアの人々の姿がありありと浮んでいるはずです。小泉氏が靖国参拝を国内問題だと強弁するかぎり、その「平和への誓い」は、こうした想いを含むものではありえません。


2004年4月9日;4月25日;8月18日校訂
Booker

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